あれから2ヶ月がたちました

Qがいなくなって2ヶ月がたちました。
色々なことがありました。

とても長い日々が過ぎた気がします。



先日、日記に書いた主人の母は無事に手術を終えました。
しかし大変な手術だったので、まだ食欲がなく点滴が続いています。
吐き気もあるらしく、遠く離れて何もしてあげられない自分が
もどかしいです。

でも、きっと前のように元気になってくれる。
そして、毎年の梅酒をまた送ってくれる。
そう信じて母の回復を祈りながら鶴を折っています。
お母さんの苦痛が少しでも治まりますように、、、、


また、私の同居の父がどういうわけかQの死んだ翌日から
急激に足の機能が落ちて「要介護2」の認定を受けました。
私が、面倒見てやらないと家の中での行動も危険な状態になりました。
車椅子も使っています。
最近は、介護用品レンタル会社の人や、
ケアマネージャーさん、リハビリの先生などが
頻繁に家を訪れることが増え、
散らかしっぱなしの家を何とかしないといけません。

来週からリハビリに通う父ですが
まじめにがんばって、思うように歩けるようになって欲しいです。




Qのお墓の緑も茂ってきました。

私の気持ちはもう、かなり落ち着いてきたけれど
Qの最期に過ごしたプラケースの敷き紙の尿の跡が
変色してきてそれを見ると胸が詰ります。
今更ですが、あの日のQの急変の時に体内で何が起きていたのかとか
苦しくなかっただろうかとか、
もっと、違う行動をとったならば助かっていたのではないかなど
考えても仕方のないことに考えがめぐって辛くなります。
また、最期にいたプラケのご飯入れに私が少しでも食べてくれるように
あの日の亡くなる1時間前に入れ替えたご飯入れを
Qのいなくなった後に見たとき、
カナリーシードが4粒、ペレットの真ん中が少々、食べてあったことに気づきました。
あの具合の悪い、もう亡くなる直前まで
「ご飯食べようね」という私の声に応えようとして
がんばって食べたんだな、、、、Qちゃん。
今もそのまま、その状態で保存してあるのですが
どうにも、それを見てしまうと
Qのがんばりの跡は再び悲しみの淵へ私を引き戻してしまいます。

このお盆が終わったら、Qの最期に残した跡は写真に収めて、
私の心の奥のほうに閉まってしまうことにしようと思います。

Qちゃん。。。。それでいいよね?



もう一つ、私を苦しめているのは
Qのいなくなった日曜日の同じ時間がやってくると
再び、あの日に戻ってしまい、無常感でいっぱいになってしまうことです。
これも、少しずつ、良くなっていくといいなあと願っています。

そして、Qが心配しないように、今後はこのブログでも
Qとの楽しかった思い出をたくさん語りたいと思います。



もうひとりのお嬢様、手がかかるパピヨンの鉄は以前下痢続きで激減した体重も戻っています。
ただ、その体調の変化のせいか急激に毛が抜けてしまいました。
でも、元気にお転婆振りを発揮しています。


こんなバタバタの日々ですが
Qはきっと「お母さん、がんばれーピポ」と私の肩で今までと同じに
顔を覗き込んで励ましてくれていると思います。

お盆できっと帰ってきてくれている10年前に他界した私の母と
Qの写真にお花を供えながら
「がんばる」と誓います。

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